[フィリピンに赴任して
フィリピンはメイン・アイランドのルソン島、リゾ-ト・アイランドのセブ島など、大小7,100を超える島が点在しています。
16世紀以来のスペインとアメリカの植民地時代の面影を残す歴史遺産など、観光するところはたくさんあります。フィリピンはスペインの植民地時代にロ-マン・カソリックが布教されて以後、国の宗教はキリスト教で、ほとんどの国民がカソリック教徒です。町のいたるところに教会があり、土曜日は夕方からの礼拝と日曜日は朝早くからの礼拝がおこなわれています。フィリピンの見所は16世紀に建てられた有名な教会がたくさんあり、一つずつめぐり歩くのも観光の醍醐味です。
私は、3月12日よりタイから、ルソン島(本島と呼ばれている)の一番北の地方であるCagayan州のTuguegaraoという町にあります”Medical Colleges of Northern Philippines” という私立大学に赴任しました。学部は大きく分けて、医療系の学部と国際学部の二つにわかれています。学部の中でも科によってすべて制服が違います。ですから、制服を見て何処の学部の学生かすぐわかるようになっています。講義は全て英語で行なわれています。しかし、先生によってはこの地方の言葉であるイルカノ語で講義をする先生もいます。フィリピンの共通語であるタガログ語と少し違い、タガログ語が言葉によっては通じない場合もあります。フィリピンも部族がたくさんあり、その部族は独自の言葉を持っています。ですから、ここから山岳地方に行くと、イルカノ語の言葉が通じないそうです。
大学はTuguegaraoの町よりちっと外れにあり、静観で、勉強するには最も適した場所であるといえるでしょう。

[アメリカ式卒業式]
タイミングを合わせたように、3月の終わりに4年生の卒業式を見ることが出来ました。フィリピンは日本のように6,3,3制ではなく、大学をいれると2年早く卒業します。日本の中学生が高校生に当たります。
フィリピンはアメリカの植民地の時代もあり、第二言語が英語になります。
英語は小学生の時から教育されて、学校にいけない子供以外はすべて話すことができます。しかも、発音がとてもきれいでThaiと比較にならないほどきれいで、聞きほれてしまいます。
フィリピンの人の中でも、海外に行って英語の先生になっている方もいます。私がThaiの学校にいたときもフィピンから2人の先生が派遣されていました。この大学からも日本の中学に英語の先生で赴任されている方もいると言っていました。
卒業式はアメリカ式でおこなわれ、午前中から始まって夕方までかかってしまいました。とても長い卒業式でした。

[フィリピンの日本語教育]
ここの大学は、 Tuguegaraoで唯一、日本人の先生が在籍している学校です。フィリピンでお金をもらって先生になるのには、フィリピンの人たちに混って試験を受けなければなりません。試験、面接、模擬授業とこなして、合否を決めるのだそうです。そして初めてワ-クパ-ミットをもらうことが出来るのです。国立の場合は以下の手順を踏まないと先生にはなれないのです。私はボランティアで派遣されているので、お金はもらえないことになっています。だから、フィリピンは日本語の先生が少ないのです。
第2回 フィリピンだより[トライシクル・カレッサ]
[トライシクル・カレッサ]
ここのカレッジはトゲガラオ(Tuguegarao)とペナブランカ(Penablanca)の境界付近にあり、住所はペナブランカになっています。
トゲガラオはカガヤン(Cagayan)州では一番大きな町で買い物はその町までトライシクルに乗っていかなければなりません。
貸切だと50ペソで、乗り合いだと10ペソで済みます。1ペソ2円くらいなので乗り合いは安いのですが、5人集まらないと発車しません。
その間、ずっと待っていなければなりません。何せこの辺は交通が不便でそのトライシクルにのるしかないのです。トライシクルという乗り物は、フィリピン独特の乗り物で、オ-トバイの横に、2人分の座席をつけた三輪車です。トゲガラオの町は道が狭く、トライシクルでないと入れない所もあれます。
町の中にはカレッサという馬車が走っています。もちろん、人が乗るためのものです。
一度乗ったことがありますが、馬の方が暑くてかわいそうではと思うくらいでした。
あと、こちらに来てびっくりしたのは、ジプニ-という乗り合いバスで車内が満員だと屋根に上って乗っている人を沢山見かけました。
一般庶民の足になっているようです。タイとは違い驚かされることばかりです。
[Summer Course 終了]
日本語コ-スの夏期講習がおわりました。
今年の4月と5月の2ヶ月間にわたり、日本語の夏期講習が行なっていたのですが無事終了することができました。1日6時間という長丁場で土曜日までスケジュ-ルが一杯つまっていました。このコ-スの目的は、昨年受講して不合格の生徒、これから日本語を専攻したいという生徒のためのお試しコ-スでもあります。
今年合格したものは、来年つづけて上のコ-スに進むことが出来ます。もちろん単位として認められますので生徒達も真剣でした。成績も然ることながら、出席率がとても重要視され、フィリピン独特の計算式に当てはめられて単位認定が行なわれるそうです。

[San Paboloの教会]
この教会は、トゲガラオからマニラ方向にバスで40分くらい走ると、サンパブロの町の手前でおり、バス停から歩いて10分くらいのところにあります。
とても古い建物で、スペイン殖民政庁はマニラを占領した1571年から城壁や宮殿、教会の建設を始めた。ここもその一つで、1600年代に作られたものらしい。スペイン語でかかれており、わたしは読むことが出来ませんでした。
この教会の名前はSt, Paul Churchといって、トゲガラオ市内にも小さい教会ですが、同じ名前の教会がありました。石作りの城壁の中にある教会で、要塞もかねていたものと思われます。当日、教会では2組の結婚式が行なわれており、しばらく目が釘付けになっていました。