“シューメン大学の40周年記念式典”

4月29日から続いた忙しい日々からようやく解放されました。 先週土曜日(21日)から大学は休みに入っています。
20日(金曜日)は日本語の試験を午前中1グループ、午後の15時から1グループを行い、これで後期の授業もほとんど終了です。

20日(金曜日)はシューメン大学の40周年記念式典が11時から行われました。
建立は80年前ですが、正式に「Konstantin Preslavsky University of Shumen」になって40周年。 お昼12時半からはカクテルパーテイでした。
11時からの式典には参加できませんでしたが、カクテルパーテイには参加してみました。 これはほとんど大学関係者の参加で5~60人程度でしょうか?
オードブル(サラミ、ハム、チーズ、オリーブ)、鶏肉の唐揚げ、パンなどとワイン・ソフトドリンクのお決まりのメニューです。

 

 

 

 

初夏のさわやかな陽気に誘われて町に出てみますと、あちらこちらから車の騒々しいクラクションが聞こえてきます。
車に風船をくくりつけ、若者達が車で列をなして走り回っています。
卒業式を終えた各学校(高校、専門学校、カレッジなどなど)の生徒たちが歓声を上げながら卒業を祝っているのだそうです。 各家庭ではそれぞれお客さんを招いてパーテイをするそうで、招かれた人はワイン・花などを持ってお祝いに駆けつける。
そういえば町の花屋さんが沢山の人で賑わっていました。
“日本語まつり”
シューメン大学の「日本語まつり」

 

 

 

 

 

5月9日(月曜日)16時から3時間、シューメン大学で初の日本語祭を開催しました。
今回のテーマは、日本文化紹介と3月11日に起きた日本の災害の復興願いでした。
日本文化紹介、初ということもあり広い教室には入りきらないほどの人で、やむなく入り口で引き返した人も沢山いたと聞きました。

文化紹介として、着物(浴衣)のショ―、書道、折り紙、かるた大会、歌などで3時間はあっという間に終わってしまいました。

折り紙は、被災地の復興祈願のために日本の千羽鶴の意味を紹介し、皆で復興を願いながら鶴を折りました。

また生徒たちの発案で、日本の被災地の皆さんへエールを送るものとして、健康、長寿、平和のシンボルの「マルチニッツァ」を、日本の皆さんに元気になってもらいたいと願いを込めて、集めることにしました。
ブルガリアの3月は「マルチニッツァ」の月で、紅白の糸で作られた小物(マルチニッツァ)を身につけて春を待ちます。
「マルチニッツァ」は明るい未来を象徴し、健康と長寿、そして幸せのシンボルです。
遠いブルガリアから日本の被災地の皆さんへ少しでも元気になってもらえたらと願いを込めて送ることにしました。
3月はすでに終わり、手元に残っている数少ないマルチニッツァなのですが、沢山の方の暖かい心が、沢山のマルチニッツァを集める結果につながりました。

 

 

 

 

[KABIJUK] Horse Show

2011年3月12日、春を一気に運んで来たような暖かい日に、バルカン半島最大の馬牧場「KABIJUK」で、馬の競技大会が催されました。

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昨年12月12日、外気温-8度の寒い日に訪れた馬牧場、シューメンの「KABIJUK」です。
その時の感想で「ヨーロッパ最大」とブログでは申し上げましたが、後日「バルカン半島最大」の間違いであることが判りました。
1864年、トルコ政府がトルコ軍隊用に作った馬の牧場で、国営から今は民間に運営が移っているそうです。

オリンピック種目でもある馬の競技大会はとても優美なものでした。

祝日「ブルガリア文字のできた日」  3月23日  
[ST.CYRIL & METHODIUS] (TZAREV BROD 村) 学校で3月23日、ブルガリアの子供が最初に習う文字
(アルファベット)の祝賀に招待されて行ってきました。

 

 

 

 

着飾った小学校1年生14人が、歌、寸劇、詩の朗読など1時間半かけて学んできた1年間の成果を披露してくれました。
終盤、大きな本をかたどったケーキが真ん中に置かれ、そのケーキの上に6本の太いロウソクが立てられました。
招待客がそのロウソクに点火をすると、勢いよく火花が噴出して・・・花火だったのです。その後は子供も一緒に食べ物がいっぱいのパーテイ会場へ。

 

 

 

 

「マルテイニッツア」
3月のブルガリアは「マルテイニッツア」のお祭です。
別名「ババ・マルタ」(3月のおばあさん)
3月1日から3月31日まで、赤ん坊を運んでくるとされるコウノトリ、渡り鳥の燕、木に新芽を見つけるまで、そのお祭が続くとされています。
春を呼ぶお祭として、紅白のものを身につけて春を待つ。 この紅白の飾りは健康と長寿を表し、赤は命と情熱、白は清らかさを表します。
今は町のあちらこちらに紅白の小物を売る店が立ち並び、プレゼントとして買い求める人で賑わっています。
大事な人へのプレゼントで、小物と一緒にすてきな詩を書いたカードも添えられていて、心温まる贈り物に、春が早く来るような気がします。
3月1日からは葉を落とした木々が赤や白で飾られ、町も華やかに彩られるそうです。

3月31日が終わると、花の咲いた木々に、身に着けていた飾りを外してくくりつけ、春を喜ぶのだそうです。

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創立1920年の学校「キリル&メソデイウス」訪問!
“「キリル&メソデイウス」”
1月中旬、ブルガリアでインフルエンザが流行しているので、予防対策などとともに、気をつけましょうとの通達が日本大使館からありました。
時を同じくして、ブルガリアの500の学校がインフルエンザによって休校。 1月最後の週は、1週間休校にすることとテレビで報じられていたとのこと。
その週のまっただ中の1月26日(水曜日)、シューメンから7キロ離れた村の小学校を訪ねる予定でした。
前日、「学校が休校になった」と、一緒に行くはずのブルガリアの友人からメールが入ったのですが、訪問を企画した本人と連絡がつかず、とりあえず、26日、予定の朝8時に待ち合わせの場所に出向きました。 その日も非常に寒い日(マイナス9度)で、前日から降った雪で白一色の景色は、綺麗でしたが、さて、学校は休校なのかどうか?車を走らせてから、企画した彼に問い合わせると、その張本人は「学校休校」のニュースをまったく知らずに、今日の予定をこなすために動いていたのです。
彼が学校に問い合わせると、休校ではないとのこと。 もし、休校だとしても、私にとっては 「雪の日のドライブだわー!シューメンの町を離れると沿道には人家らしいものが見当たらず、降りしきる雪で遠くも見えず、そんな中、急に雪の中に人家が見え始め、まもなく白い建物が雪の中に姿を現しました。降りしきる雪の中の学校は小さい教会を思わせるようなたたずまい。 学校の前に着くと、今、車で着いたらしい若い教師が歩み寄ってきて、お互い顔見知りらしい挨拶を交わし、雪で滑りやすくなっている道に気を使いながら、学校の入り口に向かいました。学校の周りには人の気配がなく、静まりかえっています。 やっぱり休校?

 

 

 

 

築90年のこの学校は、建物も頑丈で、立派な建物でした。 重そうな立派なドアもその歴史を感じさせます。
学校の名前は「キリル&メソデイウス」。 ブルガリアの聖人「キリル&メソデイウス」は 学校の「Patron」って言っております。
創立は1920年5月24日。 ブルガリアの祝祭日「聖キリル&メソデイウス」と搭u梔C呼釮裡儀遑横監釮任后・・実匸生徒数は145名、学年は1年生(7歳ぐらい)~8年生(15歳ぐらい)。 各学年にⅠクラスずつです。

 

 

 

 

ドアを開けて中に入ると・・・えっ? 一瞬、予想もしていなかったことが目の前に広がっているのです。
入り口を入ってすぐの私に向かって、生徒8~10人ぐらい、教師達5~6人が整列して待っていてくれたのです。 全員が学校の紋章入りのタスキを首から下げて、1年生から8年生までの代表、生徒会長。 そして真っ白なあごひげを綺麗に整えた校長先生が、同じく学校のタスキを首から下げて、にこやかに迎え入れてくださったのです。
全員の歓迎の言葉をブルガリア語でいただいて、次に列の中心にいた生徒が直径50センチもあろうかと思うような大きな丸いパン(お祝いの席に必ずでてくる)を持って私に歩み寄り、少しだけちぎって口に含む儀式を主賓の私から始めます。 隣に、茶色の塩を入れた小皿を持った女の子も、ニコニコ顔でパンの女の子の横に並んでいます。
その後、各学年の代表の生徒1人ずつが順番に校長先生から紹介され、そして、学校の生徒代表が英語で挨拶。
どの子も、はじめてみる日本人のせいか、緊張と恥ずかしさの入り混じった笑顔で迎えてくれました。

 

 

 

 

歓迎の儀式が終わり、2階にある校長室にご案内されて、しばらくお茶をいただきました校長室のテーブルの上には、校長先生の奥様が作られたバーニッツァ(白チーズパイ)、
ケーキなどが並べられ、どれも大変おいしいものでした。

その後、各教室を案内していただき、生徒たちの授業風景を見せていただきました。 生徒たちが描いた絵を見せてくれたり、全員で歌を歌ってくれたり、男子生徒の空手のパフォーマンスをやって見せてくれたり、8年生は今年の6月には卒業とのこと、英語での質問が出たりしました。
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音楽室、技術室、図書室兼ミュージアム、そして体育室(普通の教室の広さ)。
音楽室は古いピアノ、古い電子オルガン、ギターが2個、ブルガリアの昔の弦楽器、ブルガリアのバグパイプ、小さい太鼓がそれぞれ1つずつ。どれも埃を被ているような、いつ使ったの? 展示品?
日本のように生徒1人ずつ楽器を持って習うということはないそうです。
体育室は、体を鍛えるような簡単な器具10個あまり並べられている。 その部屋の中で、錘で量る体重計が現存していたんです。 今でも使っているそうです。
皆に背中を押されて、その体重計に乗ってみることになりました。
身長、体重をそこで量ってみると、意外と正確? 1キロぐらいの誤差はどうってことない感じ? その時には、ダウンの長いコートを着て、中に毛のついた雪よう厚底ブーツを履いているんですから。
日本では当たり前のヘルスメーター、どうにかして運んであげたい。
そして、日本の小学校で使い終えた、笛、ピア二カなど運んで上げたら喜ぶだろうなあと、思ってしまいました。

学校は築90年。 堂々とした天井の高い重量感のある建物は、90年の歴史の重みをしっかり保ち、聖人「キリル&メソデウス」の名前に恥じない堂々としたものでした。
内装は、この学校を愛してやまない村の人たち、そして先生たちの、誇りと愛情を、ここそこに見ることができました。 各教室には、壁一面に色彩豊かな、明るくて楽しい絵が描かれていました。 何度も壁のペンキを塗り替え、柱の角ばった角は今は、いくたびかのペンキのせいで丸くなっています。
2時間半ほどお邪魔をし、ドアの外までお見送りくださった校長先生は、この学校の歴史を守っている誇りで、とても輝いて見えました。

 

 

 

 

“日本語試験3回行います!”
1月20日、日本語試験3回(1月20日、2月10日、3月1日)の予定日のうち、第1回目の1月20日の試験日、
受験生徒数14名参加で行いました。
受験の生徒14名の中には、大学の単位に関係ないが受験したいと、日本語を受講している大学の講師、獣医でもあり空手の指導者、サラリーマンなどを含めた生徒たちで行いました。
ほぼ2カ月半の、それも大学から与えられた授業時間数は22時間あまり。 その中で教えた日本語は限りがありますが、しかし試験に取り組む姿勢は真剣そのものでした。

昨年10月からスタートした日本語授業、日本語はまったく初めてという生徒ばかりでした。 授業スタートの最初のころ、日本のアニメから覚えた言葉を、たまに使い、授業を面白がっていた生徒たちも、今は真剣な顔をして授業に取り組んでいます。 前期の生徒数は35名ぐらいでしたが、後期にどれぐらい生徒が残っているか、あくまでも選択科目なので、受講するしないは生徒の取り組み方次第。 今回の試験結果にもそれが現れるのか、興味があります。
すべての試験結果が出るのは、3回目の試験終了後です。
1回目の試験は、ほぼ予想通りでした。 満点の生徒がいる傍ら、途中でギヴアップの生徒が2人いました。 その生徒からは、再試験の希望が出ています。

 

 

 

 

年越しパーティ!
12月31日、ブルガリアの友人(ご夫婦とも弁護士)宅の年越しパーテイにお招きいただきました。

 

 

 

 

 

 

夜8時、約束の時間にお邪魔すると、すでに沢山の人たちが席に着いておりました。
バスで2時間ぐらい離れた町に住んでいるという奥様のご両親、ご主人のお母様、友人達で14~5名。
テーブルにはブルガリア料理、ロシア料理(友人の中にロシア人の奥様がおりました)、お酒は自家製ワイン(ご主人作)、ラキア(果実酒40~60度)、ウイスキー、ウオッカなどが、ところ狭しと並べられておりました。
ご主人のお母様の料理に、兎の肉料理、兎の内臓(肝臓)を入れて炊いたご飯がありました。 兎はよく食べるそうです。 肉質は鶏肉に似ていて、癖のない食べやすい肉でした。
それ以外に、豚肉、野菜料理、いろんな種類のサラダ、チーズ、ソーセージ、ケーキ、そして、お祝い用に焼いた大きなラウンド型のパン、このパンには占いの小さな紙片が沢山付けられており、それぞれちぎって取ったパンに舌鼓を打ち、その占いの紙片を見て、みなさん一喜一憂。 ちなみに私は、お金持ちになるそうです。

 

 

 

 

良く飲み、食べ、おしゃべり(私以外)と、テレビの生放送、ブルガリアの首都ソフィアの公園に設けられた巨大なステージで繰り広げられているショ―を見ながら、ステージの前にいる人たちと同じように楽しみ、そして、11時45分、大統領がテレビで演説。
いよいよカウントダウン10秒前、新しいシャンペングラスに、その日の、その時のために用意してあったシャンペンをグラスに注ぎ、みんなで声を合わせてともにカウントダウン・・・・
5・4・3・2・1・ナズドラーヴェ(乾杯)!!! みんなでグラスを合わせ、何度もナズドラーヴェ。 年老いたお父さまは感極まって涙ぐんでおりました。
外では、0時とともに、花火が打ち上げられ、光のなかった窓の外が、新年を祝う花火で明るく照らされました。
2011年、ブルガリア・シューメンで新年を迎えました。

 

 

 

 

写真
1枚目: 並べられた料理のⅠ部
2枚目: 祖父母様とお孫さん(友人の長女)
3枚目: ケーキと奥様
4枚目: みんなでナズドラーヴェ
5枚目: 女性だけでパチリ!

シューメンスポーツ功労者授賞式
12月28日、 2010年度シューメンスポーツ功労者授賞式が17時より、町のユースセンター(町の大きなホール・大きなステージのある市民文化ホール)であり、行ってきました。

 

 

 

 

ソフィアからブルガリア・スポーツ省(正式な名前はわかりません)の人も見えて、挨拶、受賞者への受賞を行いました。
受賞者はフェンシング、乗馬、重量挙げ、バトミントン・・・など(すみません、他、忘れました)で、最後に1番功績を残したスポーツとして、空手が報じられました。
ジュニア・ヨーロッパチャンピオン(Bogomil Tiholov 17歳)が呼ばれ、紙吹雪が舞いました。 他にも空手の数々の受賞(ジュニア・ナショナルチャンピオン 12歳)などが報じられていました。

 

 

 

 

空手の指導者、ダニエルさんがスポーツベスト指導として最後に表彰されました。 (3回目だそうです)
表彰式終了後は別室でカクテルパーテイ。 その会場では、それぞれの受賞者が新聞記者のインタビュー受け、受賞を祝っていました。

ブルガリアにこれほど深く根ざしている日本の文化、空手。 遠くのブルガリアにいながら、日本の文化を、日本にいた時よりも身近に感じ、それを愛してくれている人たちと話していると、今や日本人の武士道の精神を純粋な形で受け継いでいるのは、遠くのこの国の人たちではないだろうかと思ってしまいます。
私があまりに日本の武士道を知らなすぎるので、この私のコメントは間違っているかもしれませんが。

黒沢明監督の武士道を表した多くの映画はほとんど見たという男性。 宮本武蔵を尊敬するという男性。 浮世絵を収集し、日本茶が大好きというご夫婦。
芥川竜之介、太宰治、夏目漱石などの本を読んだという大学生。 私たちがブルガリアに興味を持つ以上に、日本の文化に深い興味を示し、日本の文化を語っている時の皆さんの表情は、あまりに綺麗で圧倒されます。そんな時、日本人でありながら、日本の文化に対して、あまりに疎い自分が恥ずかしくなります。

 

 

 

 

1枚目: 空手のパフォーマンス
2枚目: 空手に尽力した人たち
3枚目: 授賞式の間に繰り広げられたブルガリア民族ダンス
4枚目: 授賞式の間に繰り広げられた現代ダンス